ギケイキ(町田康)
ほんだらね、ゆうたらね、自分のしゃべってる言語はね、誰かしらの言語であるからにしてね。
いま一度、言葉について考えねばならない。
この言葉は自分のものではない。なぜならそれは他者との共有によって初めて意味を持つからである。
僕が「りんご」と発音したときに、みんなが「りんご」だと思うように。
歴史の中で、多くの言葉が他者によって、あるいは自然によって奪われていったように。
義経は彷徨う魂魄として、僕たちの言葉を「借用」するわけだ。
この「借用」がギケイキを語り得ぬ物語へとしてしまった。
あ、そもそも現代の文学はこの語り得ぬものを美としていなかったか。
しかしながら誰しもが語る言葉にも価値があったりするものやねん。
だから僕はこの夜にも決まって言ってまう。おやすみなさい、と。