昔、鷲田清一は大阪大学の総長(学長)だった。
鷲田清一が総長だったので、大阪大学を受験した。(余裕で不合格だった。)
鷲田さんはその主張をいろいろと言い換えて、いろいろと例示して、
ごく分かりやすく伝えてくれる。
そんで、この本も昔っから言うてることをまた言うてる。
じぶんって何
何をもってして「じぶん」を定義できるのか。
アイデンティティとも言われますけど。
高校生の僕は何やろうって考えていた。
そのときの僕はぶりっ子状態だったので、「右の人差し指」だと考えていた。
右の人差し指は爪が割れていて、(マニキュアしてたけど割れてた)
右の人差し指は他の指よりも硬くて、
あ、これって自分を自分たらしめるものやと、
あほすぎる僕は思っていた。
この右人差し指が残っていれば、僕は僕なんだと言える気がしていた。
今はどうだろう。
右人差し指の爪は割れることなく、その硬さは他と遜色なく、
ちぎられることもなく、僕にくっついている。
社会の中では自分を定義づけたくなる。
自分は何者か、何にとっての自分なのか、誰にとっての自分なのか。
その答えを探すとき、見つからないことに焦る。
でも、本当は見つからなくてもいい。
見つからなくとも、あなたは欠けてはいけない存在なんだと、
僕は一生懸命に伝えていきたい。
夏は暑くて困ります。
最近は昼間どこにも行く気にならなくて、夜になってからお酒を飲みに行っています。
そうそう、夜はいつも同じバーに立ち寄ります。
なんとなく、そこで自分の存在を確かめているんやなあ。