City Lights

from kyoto

小さなジーン・ケリー

リトル・ダンサー(スティーブン・ダルドリー)

雨に唄えば」のドンは時折見返したくなる。

ビリー・エリオットも同じ。

 

ひたむきなビリーとその周りの大人たち。

何が正解か、ということを自らに問い続ける。

どんな生き方が正しいのか。

「踊っているとき、どんな気持ち?」

「さあ、いい気分です。」

 

ね、精一杯、踊ろう。

何もかも忘れてしまうくらい熱中しよう。

自分の行動のすべてを正しさと呼べるくらい踊ろう。

君も僕もビリー・エリオットだ。小さなジーン・ケリーなんだ。

その時出会った人がいて

ヘビー級のパンチが顔面に叩きつけられるような、

そんな出会いが今まであっただろうか。

あの日、あの時、あの場所の。

10年経って、僕は30歳になって(正確には31歳だけど)、

あなたが幸せであることを確かめれば

それとなく暮らしていける。

 

アナクライネナハトムジーク(今泉力哉)

誰もが誰かの人生を大型ビジョンで見ている。

自分がそのリングに立っているかのような、

幻想を抱いている。

僕はそれが真実であることをきちんと見届けたい。

立ち上がってくれ!

立ち上がってくれ!

小さな夜でも僕は叫び続ける。

ちょっと思い出しただけ

ちょっと思い出しただけ(松居大悟)

ちょっと思い出しただけのはずなんだよ。

 

忘れていいことなんてひとつもない気がしてるし、

忘れたほうがいいことしかない気もしてるし。

商店街で踊ったことも

水族館に忍びこんだことも

ねこも植物も朝日も

 

 

なんてことないのよ。

孤独を連れて

女のいない男たち(村上春樹)

 

ある日の雨は側溝にただただ流れてゆく。

彼らは生まれ落ちた瞬間に、暗闇へと落ちてゆく。

小説というものの定義が数多あることは知っているが

大体のものは側溝に流れゆく雨を、

手で掬うような行為のことだ。

放っておけば誰にも語られることのない、

雨粒の物語を、

それが汚いとか神聖だとかは抜きにして。

 

男は女を求める。

女は男を求める。

生物学的に?必然的に?

引っ張り合うだけの関係ではない。

恣意的に?刹那的に?

 

無意味さをある程度の質量で引き連れて。

孤独をある一定の体積で引き連れて。

遠すぎる目的地が実は二歩先にあったりして。

 

おれはこの男に惚れたんだぁ間違いねえ

 

男の愛(町田康

海道一の大親分 清水次郎長のお話

もはやストーリーは説明不要やけど、

清水を追われたから西へ向かって、そんで修行するぜってところまで。

 

町田康が描けば、全員があほになるが、

全員が愛しく思えるものです。

小説の中で人が動き始めるのは、人が動き始めるまで待つから。

読んでいると時間の経過がなんかわかる。

頭の中の言葉がずらーっとわかる。

崖の上か下かの話

崖の上のポニョ宮崎駿

 

崖の上のポニョ」がめっちゃ好き。

初めて観たのは劇場で、たぶん高校2年だったと思う。

魚なのに人間の血が混じって半魚人となったポニョ。

ポニョは魚でもない、人でもない存在。

そんなポニョもポニョとして、宗介が「ポニョはポニョだもん」と受け入れるお話。

 

なんとなく人のことを血で見ている僕たちにとっては、

ハーフが差別的だからダブルと呼ぶのだと決めた僕たちにとっては、

出自とか血筋とかルーツとかそういったものが

ペリッと簡単に剥がれる付箋のようなものなんだと教えてくれる。

 

僕たちは色々なバックグラウンドを背負っている。

そういうものは大人(リサ)が理解しているけれど、

子ども(宗介)はそんなことよりも目の前の存在である。

とっても素敵だよね。

 

目の前にポニョが存在していたら、僕はなんて言うだろう。

「お前は何者なんだよ」と言っちゃうのかも。

大人になればなるほど「何者」かわからない存在って怖いよね。

勝ってはいけません。

「勝ち組」「負け組」

最近聞かなくなったなあと思った。

10年くらい前はなんでもかんでも「勝ち組」やということにして、

ポジティブに生きていたのかもしれない。

「負け組」の自覚が、

「組」という言葉で薄れるのを期待していたのかもしれない。

とりあえず連発してたよな。

 

昔国語教科書の一節にあった言葉。

うろ覚えなのでちょっと違うかも。

「戦争に勝ち負けはない。戦争した国はすべて負けさ」

 

勝ちとか負けとか、

正義とか悪とか、

そういうものさしで生きてはならんのだ。

生きるとはもっと複雑で多層的だ。

ウクライナ危機で危機に陥っているのは、

その正義とか悪とか、善とか悪とかのものさしである。

それで測ろうとしていたものが、

そもそも測れないのだと知ることになる。