City Lights

from kyoto

10円が大切だったあの日

幼い頃、僕の家での役割はお風呂掃除だった。

毎日お風呂を掃除して、10円を貰っていた。

10円というとラーメン丸1つ。あるいはきな粉棒1つの値段。

その10円たちを握りしめて、「ヒロセ」と呼ばれる駄菓子屋に行くわけだ。

時にはお小遣いをもらって50円のブタメンを食べたり、30円のジュースを飲んだり。

めちゃくちゃ貧しかった僕は10円で当たりを引けば大事に取っておいて、

ある日まとめて豪勢に使うなんてことをしていた。

そんな日から20年経った。

 

何気なくテレビを見ていると、

お風呂掃除は今やスプレーをして10分待って、シャワーで流すだけでできるらしい。

ただ実直にバスタブをこすり、床をピカピカにしていた幼い僕がそれを見たらどう思うだろう。

便利な世の中やなあとか呑気に感心するのだろうか。

 

これは子どもたちの役割が失われていることに他ならない。掃除ロボットが人の役割を奪っている。子どもに掃除しなさい!と叱らなくてもその前に掃除が完了している。子どもにお片付けしなさい!と叱らなくてもスマホのアプリを終了させれば1秒足らずでお片付けは完了する。散らばっているレゴブロックやおもちゃは画面の中にある。

 

子どもたちが家での役割を失うことは主体性を失うことと同義である。

しかし、世の中は主体性がない人間に「自己責任」を求める。責任が何たるかを理解していないのに。

 

 

便利な世の中になった。と同時に考えなければならないことも多くなった気がします。