City Lights

from kyoto

新社会人の皆さん、おめでとうございます。

新社会人の皆さん、これから頑張っていきましょう。

とか言うのやめてほしい。

僕は幼い頃から納税していたし学校に通っていたし学級委員になったこともあるし十分社会の一員として機能していた。僕は幼い頃から横断歩道をきちんと守る子どもだったし地下鉄にも乗っていたし公園の掃除をしていた。挨拶も愛想良くなくともしていたし、公衆電話で電話をかけることもあった。

社会人をしていた。

 

 

そもそも社会人というネーミングが好きじゃない。

社会の役に立つことを前提にしている気がする。

学校では「将来、どんなことをして社会の役に立ちたいですか?」みたいなことを平気で尋ねる。社会の役に立つことはめちゃくちゃ立派やと思うけど、社会の役に立たない=悪ではないことをきちんと教えてあげるべきやと思う。

 

文学部に入りたいと言えば、「就職どうすんの?」とか「文学ってなんの意味があんの?」とかちょっと言われたことがある。この人何言うてんねやろ…ってそのときは思っていた。

 

「社会人」というイデオロギーがいかに固定的で窮屈なものか。

無意味なものは悪なのだろうか。そんなことはない。

僕たちは日々、無意味なことを繰り返し行ってきたはずだ。

その無意味さを愛してやまないはずだ。

恋人のことを変なあだ名で呼ぶ人もいるはずだ。

わざと遠回りして家に帰る人もいるはずだ。

毎日月を観察する人もいるはずだ。

無意味を愛せば愛すほど僕たちは生きることを実感できるはずだ。

 

これは負け犬の遠吠えではない。

僕たちが生きることへの問題提起だ。

 

9月の異名は「長月」

調べてみると「夜長月」が略されて「長月」になったみたいです。いいね。