City Lights

from kyoto

スタンダードについて

僕の仕事の界隈でも「スタンダード」という言葉はよく耳にするし、

「普通は」という枕詞も特に他意はなくとも使ってしまっている気がする。

「スタンダード」と言ったり「普通」と言ったり、

「一般」と言ったり「通常」と言ったり。

そして言葉に対して真摯に向き合うということを意識して生きていると、

ふと口にした言葉を後悔することもある。

 

正欲(岸善幸)


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正しさというのは、私が決める。

私というのは他者が決める。

二重の正しさの中で、僕たちは孤独である以外に

その存在を感ぜずにいる。

今夜もあなたはただ独りだ。

雨に紛れてろくでもないのが紛れこむ

千と千尋の神隠し(宮崎駿)

 

ジブリで1番好き。

 

千尋の働く油屋は、つまり湯屋なわけで、

作中「回春」の文字があるように、そうなんだけど、

そこで生きる女性のたくましさたるや。

 

女性と書くのを最近はためらいがちで、

ここには僕のジェンダー意識があって、

最近では、

自分を男であることに微塵の疑いも申し開きもないけれど、

男女の欄に○をするのも「こんなん要らんよなあ」と思っている。

 

上のは余談。

ジブリと自然など僕が語るまでもなく、誰かが全部やってくれているので置いておくんやけど、

僕のジブリの見方はわりと一貫していて、

「差別される者たちの物語」ということ。

それは作品によっては、「女性」であったり、「ハンセン病患者」であったり、「白拍子」であったり、「在日外国人(在日コリアン)」であったり、もはや人ではないもの(「ポニョ」)であったりする。

(装置としての)トンネルを抜けると、そちらの側に立つというのがジブリ作品には一貫しているように思える。

カオナシとは現実世界で言うと、どのような存在なのか、何者なのか、そんなことを考えながら松の内を過ごすのも良いのでは。

 

 

あけましておめでとうございます。

とは正月のうちにだけ言えるセリフらしいです。

慣例的には1月15日までは使えるらしいので、使いたい人はお早めに。

2024年は非常に安定した数字な気がしています。2023年に違和感しかなかった僕にとっては、2024年の馴染みは2004年を思い出させます。

偶数が好きです。

今年は何をしようかなと、

ステーキでも焼いたろか、カニでも喰らうたろかと。

新年は祇園玄品ふぐで。

と言っても大衆向けのふぐなので、皆さんぜひ。

じぶんって何?

 

 

昔、鷲田清一大阪大学の総長(学長)だった。

鷲田清一が総長だったので、大阪大学を受験した。(余裕で不合格だった。)

 

鷲田さんはその主張をいろいろと言い換えて、いろいろと例示して、

ごく分かりやすく伝えてくれる。

そんで、この本も昔っから言うてることをまた言うてる。

 

じぶんって何

何をもってして「じぶん」を定義できるのか。

アイデンティティとも言われますけど。

 

高校生の僕は何やろうって考えていた。

そのときの僕はぶりっ子状態だったので、「右の人差し指」だと考えていた。

右の人差し指は爪が割れていて、(マニキュアしてたけど割れてた)

右の人差し指は他の指よりも硬くて、

あ、これって自分を自分たらしめるものやと、

あほすぎる僕は思っていた。

この右人差し指が残っていれば、僕は僕なんだと言える気がしていた。

 

 

今はどうだろう。

右人差し指の爪は割れることなく、その硬さは他と遜色なく、

ちぎられることもなく、僕にくっついている。

 

 

社会の中では自分を定義づけたくなる。

自分は何者か、何にとっての自分なのか、誰にとっての自分なのか。

その答えを探すとき、見つからないことに焦る。

でも、本当は見つからなくてもいい。

見つからなくとも、あなたは欠けてはいけない存在なんだと、

僕は一生懸命に伝えていきたい。

 

夏は暑くて困ります。

最近は昼間どこにも行く気にならなくて、夜になってからお酒を飲みに行っています。

そうそう、夜はいつも同じバーに立ち寄ります。

なんとなく、そこで自分の存在を確かめているんやなあ。

2023を素因数分解してよ

すずめの戸締り(新海誠)

昨日か一昨日かわからんくらい飲んだクリスマスは横に座った台湾からの観光客にテキーラのショットをご馳走になったのだった。

きつかった。唾液腺全開だった。10年ぶりだった。

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仕事は相変わらず上手くいってないのだけれど、プライベートも上手くいってないし、2022年の「未年の双子座」はあかんのだと思う。

 

「すずめの戸締り」見た。

東日本大震災で僕が感じていたことは鷲田清一も言うてたけど「生き残ってしまった罪悪感」である。

すずめは昔の自分に言いたかった。誰も悪くないんだよ。ずっと閉じていた記憶。閉じることは開けることでもある。開かなければ閉じられないのだから。

 

戸とかドアとか世界を二分するもの。世界は連続している、わけではない。

2022年が終わって2023年だ。世界は連続している、わけではないから。

小さなジーン・ケリー

リトル・ダンサー(スティーブン・ダルドリー)

雨に唄えば」のドンは時折見返したくなる。

ビリー・エリオットも同じ。

 

ひたむきなビリーとその周りの大人たち。

何が正解か、ということを自らに問い続ける。

どんな生き方が正しいのか。

「踊っているとき、どんな気持ち?」

「さあ、いい気分です。」

 

ね、精一杯、踊ろう。

何もかも忘れてしまうくらい熱中しよう。

自分の行動のすべてを正しさと呼べるくらい踊ろう。

君も僕もビリー・エリオットだ。小さなジーン・ケリーなんだ。

その時出会った人がいて

ヘビー級のパンチが顔面に叩きつけられるような、

そんな出会いが今まであっただろうか。

あの日、あの時、あの場所の。

10年経って、僕は30歳になって(正確には31歳だけど)、

あなたが幸せであることを確かめれば

それとなく暮らしていける。

 

アナクライネナハトムジーク(今泉力哉)

誰もが誰かの人生を大型ビジョンで見ている。

自分がそのリングに立っているかのような、

幻想を抱いている。

僕はそれが真実であることをきちんと見届けたい。

立ち上がってくれ!

立ち上がってくれ!

小さな夜でも僕は叫び続ける。

ちょっと思い出しただけ

ちょっと思い出しただけ(松居大悟)

ちょっと思い出しただけのはずなんだよ。

 

忘れていいことなんてひとつもない気がしてるし、

忘れたほうがいいことしかない気もしてるし。

商店街で踊ったことも

水族館に忍びこんだことも

ねこも植物も朝日も

 

 

なんてことないのよ。